2019-03-13 第198回国会 参議院 本会議 第8号
しかし、臨財債を新たに三兆二千五百六十八億円発行せざるを得ず、また臨財債残高は一八年度末五十四兆円に達し、元利償還も本来交付税で手当てされるはずが、新たな臨財債発行で賄うというサラ金地獄のような事態に陥っています。
しかし、臨財債を新たに三兆二千五百六十八億円発行せざるを得ず、また臨財債残高は一八年度末五十四兆円に達し、元利償還も本来交付税で手当てされるはずが、新たな臨財債発行で賄うというサラ金地獄のような事態に陥っています。
結局また更なる臨財債発行でしのぐことにならないと言えるでしょうか。
今や総務省が認めた額よりも臨財債発行を抑制する自治体が二割に上り、結果として住民サービスの低下を招いています。 野田総務大臣、臨時と言いながら十八年間にわたって続けてきた地方に負担を肩代わりさせるやり方は、もはや限界ではありませんか。財源不足が続いたときには地方交付税の法定率を引き上げるとしている地方交付税法の原則に従って、今こそ法定率を引き上げ、必要な一般財源を確保すべきではありませんか。
来年度の臨財債発行額は減少して、折半ルールで発行する臨財債の額もかなり減っております。とはいえ、既往の臨財債の元利償還金はふえ続けておりまして、来年度は三兆七千三百五億円に達しております。財源不足額の六〇・四%、それから、臨財債発行額全体では、九四%近くがこの償還金に充てられる。
この間、臨財債発行の延長が繰り返され、残高は五十二兆円にも膨らんでいます。今や、総務省が認めた発行可能額よりも実際の臨財債発行を抑制する自治体が二割に上るなど、この仕組みが自治体の歳出抑制、住民サービス低下を招いています。 総務大臣、臨時といいながら十六年も続いてきた、地方に負担を肩代わりさせるやり方はそろそろやめるべきではありませんか。
財源不足に対して、折半ルールを三年間延長することで手当てしますが、臨財債発行額の大半は、既往発行分の借りかえ部分です。借金による借金返済では、臨財債の累積発行額が減ることはありません。臨財債依存に終止符を打ち、交付税の法定率引き上げをもって財源不足を解消するよう求めます。
また、四兆円の臨財債発行額のうち約八五%に当たる約三・四兆円が既にもうこれまで借りてきた臨財債の元利償還分。ですから、過去の臨財債の償還に新規の臨財債を充てる、そういうことが生まれております。借金を返すために借金をする、こういう状況になっているわけで、いずれにしても、このまま元利償還額が交付税総額に計上され続けることというのは適正な姿とは到底思えません。
というのも、安倍総理は、今般の法案審議において、来年度の地方税収は、アベノミクスのおかげで政権交代前と比べて五兆円以上も増加し過去最高だと何度も自画自賛し、高市総務大臣は、地方交付税は前年度同程度を確保、臨財債発行は大幅に抑制と、二人そろって自分の成果はどうだと猛烈な自己PRになっておるのであります。
来年度の臨財債発行額は三・八兆円で、前年比で〇・七兆円の減となっております。総務省の地財計画のポイントでも、赤字地方債である臨財債対策費の大幅な抑制というようなことも言われております。 その中身を見ますと、臨財債発行額三兆七千八百八十億円のうち、いわゆる折半ルールで発行されるものが二千七百四十七億、残りは既に発行した臨財債の元利償還部分で、率にして全体の発行額の八五%に相当いたします。
やはり臨財債の制度そのものというよりも、先ほど申し上げましたように、平成十九年度及び二十年度のように、折半すべき財源不足が解消されて臨財債発行しないで済むような形というのをしっかりとつくってまいりたいと思っております。
何て書いてあるかというと、鳥取県の臨財債発行額は、二〇〇一年、最初、九十九億円、それからだんだん膨らんでいって、何と二〇〇四年には二百八十三億円になりました。その返済は、最初、六億円から始まっていって、最後、五十九億円まで返済が臨財債で戻ってきて、こういう状況になってきて、おいおい、これは大丈夫かということになったんですね。その中身は、先ほど私が言ったように、結局自転車操業をやっている。
平成二十三年度普通交付税の算定に併せて臨財債発行可能額が示されておりますが、交付団体の中で財政力指数の高い団体ほど多くの臨財債が発行することと今されております。その傾斜配分たるやすごいものがあると私は思います。これは、財政力の強い団体ほど資金調達力も高いという考えによるものと理解をしておりますが、大臣もこの考えでよろしいんでしょうか。
今回、臨財債発行については、これまでの人口基礎方式に加えて財源不足額基礎方式が導入される、このように聞いております。これによって、財源不足に苦しむ自治体で追加的に臨財債を発行することが可能になります。この新しい方式の追加導入によって臨財債の性格に変化が生じるのかな、こういうふうな気もいたしますが、そうでない気もするんですが、これはどういうことになるんでしょうか。